秋の西方行脚 2011-9 10月21日/〜紫電改展示館〜松山 紫電改はどこよ?-U
さぁ着きました。が土砂降りです。降りるのもためらうほどの・・・。とりあえず外のトイレに横付けして朝のお勤めです。あ、この時々出てくる「朝のお勤め」って、洗顔+大小排泄のことね。しかしすごい降りです。と言っていつまでもここにいても・・・と意を決し突入(?)です。
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この紫電改は国内唯一の現存機で、昭和20年7月24日、大村基地より米艦載機迎撃に飛び立った、343航空隊
21機中未帰還となった6機の内の1機だそうです。昭和53年にこの近くの海中で発見され、54年に引き上げられました。できるだけ引き上げ時のまま、というコンセプトの下レストアされたそうですから、不時着水時に曲がったプロペラもそのままです。また腐食が進んだ超々ジュラルミンの機体も穴だらけです。未帰還となった方は分かっているのですが、引き上げ時に機体番号が読み取れず、どの方の機かは特定できなかったそうです。そのため6名の遺影も合わせて展示されています。慰霊最終章、6名の英霊に合掌・・・
入館時は私一人の貸しきり状態。撮りまくりつつも展示品をじっくり見つつ、静かな館内で一人英霊たちに思いを馳せていました。それも団体さんがなだれ込むまで。「あちゃ」と思いましたが、学芸員の解説が始まったので私も遠巻きに・・・。ま、解説と言っても粗方のことは知ってますから、お目当ては団体さんが引き上げたあと・・・ |
何せ謎の多いこの引き上げ紫電改。聞きたかったのは裏話です。若い方でしたが、私の質問攻めに丁寧に答えてくれました。同時に、複雑な思いや気遣いなども・・・。
その1)キャノピーの謎 その2)特定は? その2)誰が引き上げるのか?誰が守るのか? その3)右左
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お若いのにしっかりした考えをお持ちの方でした。次世代の語り部、そう言っても過言ではないかも。体験者が減る一方のこの過去の悲劇を、次世代たる私も何か伝えていかねば・・・。ウチのお子達にも折に触れ話はしていますが・・・どうなんでしょね? 1時間以上立ち話に付き合わせてしまいました。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました! それにしても見学してたお年寄りたちって、戦中派じゃないの?なのに何も知らないみたい。これも戦時下の情報統制のタマモノ?ま、今だって我々は何を隠されてるのか分かったもんじゃありませんけどね。
雨の伊予路 |
後はひたすら北上です。高速も部分的に使えましたが松山市街に入ったのはもう夕方。復活したSLの「坊ちゃん列車」も気になりますが、ここでも恒例「お宿はどこだ?」で彷徨って・・・。そしたらいきなりその坊ちゃん列車が!でもディーゼルエンジンそのままの通過音にシャッター押しかけて止めました。これじゃSL
じゃないじゃん!DL じゃん!
今夜のお宿 夕べは野宿でしたからチョイと豪勢に。しかしこのホテル内レストランのスタッフ、いけませんなぁ。フロントのスタッフとはえらい違いです。いえ、無礼とか乱暴ってわけじゃないですよ。ただ事務的に運んできてポンポン並べてハイ、さようなら。愛想のかけらもありません。四国といえば「お接待」じゃないの?もてなす心って無いの?これじゃせっかくの料理も魅力半減!投稿しちゃおかな?(笑) |
がんばれ東日本!