西方行脚2017/肝附〜飫肥〜田野〜宮崎
4月22日
31stクラブミーティング&ツーリング

のんびりスタート
 いやぁ、ゆんべもよく飲んで食いました。当然寝坊して起きても食欲イマイチ。で、今朝はこれ。そろそろ東京の立ち食いそばが恋しくなってきました。

         

 今日は特に予定も無く、アキマルさんのご都合の良いとこまで付き合っていただければツーリングも成立。後は夕方までに宮崎に着けば良いというのんびりスケジュールです。勢いチェックアウトも10時頃というだらけ振り。

 アキマル亭に向かう途中の広々した田んぼでは、早くも田植えが進んでます。やはり南国だから早いんですかね?それにしても・・・こういう光景って、米が食えるっていう安心感からか、見ててホッとしません?

 時間余裕なんで、着いたらまたお父上殿から陸軍航空隊の事お聞きしようと思ったんですが、もうデイケアへお出かけとのこと。昨日のうちに3人で撮っておいてよかった。でもまた来ます。4号残ってますから!

 さて、まずはジョイフル行って作戦会議とまいりやしょう。

 実はいつもここからスタートなんです。ブランチしつつ「どこいこか?」って。もうあちこち連れて行っていただいてるんで、日南線沿いに走ること以外決めてませんでしたしね。で、飫肥(おび)ってとこに城址と武家屋敷がある、と言うと「んじゃ、そこまで一緒に走ろう!」ってことになりました。物見遊山が苦手な身には、苦しい時の武家屋敷ってか?(笑) ちなみに、朝カップ麺食った私ですが、ちゃんとモーニングセットお付き合いしました。

 

 

志布志湾をゆく

 天気は暑くなく寒くなくでまずまず。降られる心配もありません。風も気持ちいい!そんな中を2台の初代がゆく・・・。う〜、たまんね!

 志布志からは波静かな志布志湾に沿って走ります。水がキレイ!

 今や日本全国、すき家とかイオン等々のチェーン店が並んで、どこへ行っても似たような景色ばかりですが、南九州のシュロの木だけは別ですね。これでいっぺんに南国ムードになります。そこにアキマル号が写ってる。もうそれだけでここは鹿児島でごわす!と特定できますよ。

 志布志湾からチョイと山越えして油津に出ればもう日向灘。飫肥の町も近いです。そこでお昼にしたいけど、腹減りそうにありませんな。

 

 

飫肥城址
 
ここ、大変長い歴史のある元お城ながら、御多分に漏れず明治初頭の廃城令で、全ての建物が取り壊されました。その後昭和53年にこの大手門が復元されましたが、外観の資料が無いため全て考証によるものだそうです。

 木部のヤレ具合がとても歴史を感じさせてくれる、と思ったのに昭和53年ですか。その説明読んだとたん2人ともスーっとテンション下がって・・・

 昭和53年って2号の生まれた年・・・って、古いことは古いか。でも・・・

 この奥が本丸跡のようですが、今は飫肥小学校が立ってるそうで。ならもうこの辺でいっかなぁ〜、に。ちょっとこばらクンだし。

 ところで、塀の裏側のこれは?と思ったら、控柱と言ってこの築地塀(ついじへい)が倒れるのを防いでいるとか。それほど華奢にも見えませんが・・・

 城址はこれくらいにして、チョイとつまみ食いを。それには元祖おび天本舗「蔵」のこの「おび天」なるものがよろしいようで。さつま揚げに似てますが、魚のすり身と豆腐を揚げていて、全くの別物です。甘辛のタレが良いですねぇ。店舗も歴史的建造物のようですよ。もう1個食いたかったな・・・

 さぁ楽しかったツーリングもこの辺でお開きです。油津まで戻ってアキマルさんは肝付へ、私は宮崎に向かいます。アキマルさんには今回もまたいっぱいお世話になってしまいました。本当にありがとうございました!

 油津に戻る通りは正に武家屋敷の通り。ただ、ここんとこあちこちで見てるんでちょっと食傷気味。もちろんケチなんて付けるつもりなんて毛頭ありませんが、どこも似たり寄ったりで・・・。

 これが大切なこの町の資産であることも、すばらしい観光資源であることもよく分かります。でも日本中どこでも似たような見せ方で、どこか物足りなさを感じるんです。何か違う方法はないのでしょうかね?いや、素晴らしいんですよ、とても。それは十分わかってます。

 油津の街角でアキマルさんにお礼を言って別れ、私は宮崎に向かう、ハズでした。が、さっき見た日南線の飫肥駅がどうにも気になって・・・。なので一人引き返したんです。ま、時間も余裕な気楽な一人旅。いいっしょ!

 

 

宮崎へ遠回りの道

 これがその飫肥駅です。飫肥城址による町興しに合わせて武家屋敷風です。イイ感じでしょ?アキマルさんんも付き合ってもらえば良かった!

 で、ここでさらに予定変更。油津から北上しても、それは前に走った道。それじゃつまんないじゃないですか!それに地図を見れば、懐かしの地の田野はここのほぼ真北です。んじゃ・・・行っちゃえ!ってんで遠回り決定!

 しばらく走ると「飫肥杉峠展望台」という見晴らしの良い展望台が。この広大な森は、江戸初期から杉を植林し、飫肥藩の財政を支えていたそうです。ただ、すみません。私には普通の展望台の眺めにしか見えませんでした。向こうのが全部杉?はぁ、そうですか。花粉とか大変ですよね。ぐらいなもんで・・・

 

 

懐かしの地を巡る

 宮崎入りの前の寄り道はここ。日豊本線の田野です。ひょっとしてこの駅舎は当時もの?なんかそんな気がしてなりません。え、そばも食える?当時そんなのは無かったが・・・気になる!どうしよう!?というその時、なぜか嫁に行った娘から電話が。「あのね、赤ちゃんできたので・・・」というおめでたい知らせだったんですが、ちょっと、間が悪かった。駅前を車でウロウロして食うか食わぬか、ってそれも立ち食いそばを、ですから。ちょっと気の毒な対応してしまいました。ま、結局なにも食わずに懐かしの場所へ向かったんですけどね。後でメールしとくか・・・ごめん!&おめでとう!って。

 これがその場所です。清武川に架かる鉄橋で、飽かずC57を撮ったものです。当時、都合4回行った九州ですが、ここには毎回来てたはずです。それくらいお気に入りの場所でした。その頃はこのように河川改修されておらず、手前の橋も木橋でした。でも日豊本線の鉄橋は、電化されて電柱こそ増えてますが、それを除けばほぼ当時のまま。懐かしさがこみ上げてきます。

 日が暮れるまでC57を撮ったあの頃、誰が43年後にこの地を車で再訪するなんて想像できたでしょう。しかも38年前モノの車で。あの頃はバリバリのテツでしたしねぇ。アンチモータリゼィション!なんてね(笑)。なんかちょっと心が満たされた気分。さぁ、もう一丁いきやしょうか!

 宮崎に近づくとこの感じ。いかにも南国宮崎を走ってるぞ!って気になります。 こういう道だったら、北海道の原野のように、どこまでも走りたくなります。ええ、すき家もイオンも無いこの道を(笑)。

 お次は宮崎総合運動公園のC57なんですが、この公園やったらでっかい上に、案内図にもSLなんてどこにも書いてありません。たまらず事務所に飛び込んで教えてもらったら、そこの遥か彼方。なんてでかい公園なんでしょ。しかし言われた所へ移動しても見当たりません。今度は駐車場のおじさんに聞いたら「この真っ直ぐな道の突き当り」と指さす方を見ると、なるほど、真っ直ぐな道のはるか向こうの突き当りに小さく見えます。あれかい! そこを歩いたもんだから、なっかなか着きゃしない!見えてる物って遠いんですよねぇ、お台場みたいに(笑)。

      

 そして汗をかきかきやっと再会できたのがこのC57175です。確認はしてませんが、これも当時日豊本線のどこかで撮ってるはずです。

 

 塗りはまぁまぁかな?でも連結器の赤って・・・。全国の保存機には「おいおい・・・」という塗装されちゃってるカマは少なくないですが、それって誰が決めるんでしょ?保存してもらってるのになんですが・・・、センスねぇんじゃね?



 海が近いとは言えこの塗膜の厚さ!いや、こうなるとパテのレベルです。いったい鉄板まで何ミリあるでしょ?でもやっぱりこのくらいやらないと、錆びちゃうんでしょうね。ん〜、なんかちょっと剥がしてみたくなりません?(笑)

 

 うわ、これもキャブ内は青っすか!ふつう薄い青緑〜黄緑だったと思うんですけどねぇ。この手の塗りは戦前からずっと・・・。まぁ、欠品も無さそうだし、外からは目立たないからいいですけどね。しかし・・・


 南国の夕日に包まれ、さぁて、そろそろ港へ行きますか!




初めての航路



 南九州から関西への航路は2つ。昨年乗った志布志〜大阪南港の「フェリーさんふらわあ」と今回乗る宮崎〜神戸の「宮崎カーフェリー」です。似たような気がしますが、明日は岡山県の児島まで行くので、より近い神戸着の航路を選びました。もちろん個室です。



 お、乗船開始です。この船ちゃんとレストランあるんですよねぇ。昼がいい加減だったんでもう腹ペコです。どんなんだろ?楽しみです。

 

 部屋は窓の無い1人部屋で、荷物収めてデッキに出ると・・・

 夕暮れの宮崎港。出航の19時10分にはまだ大分あります。ずっと.眺めていたいけど、もうレストランが開くんで・・・。ハラヘッタ!



 この船のバイキングも、リーズナブルで種類も豊富。どうも大洗組が不利に思えてなりません。お味はまぁ、似たり寄ったりで可もなく不可もなく、かと。さて、明日は児島で32ndクラブミーティング。ガッツリ食って早く寝ましょう!


 

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