出張!昭和のホンダ車閖上ミーティング・ファイナル!/〜釜石〜宮古〜盛岡
9月16日 釜石線SL銀河〜三陸海岸を走る・U

ロケハンの続き
 今日は「SL銀河」追っかけ本番ですが、昨日日没時間切れでロケハン終わってません。でもテキの花巻発車が10時37分。早めに出発したから時間たっぷり。宮守手前まで余裕で回れました。これで今日回るポイント&駐車位置全て確定!いやぁ、こんなにしっかり準備できたのって珍しいかも。ん?なんかヘン?車洗うと雨降るみたいな・・・。まいっか!では最初のポイント、花巻を出てすぐの瀬川の橋梁でテキの出発を待つとしましょう。

 

 

打ち方はじめぇ〜!
 花巻→似内 概ね定刻、予想外に少ないケムたなびかせて「SL銀河」が軽やかにお出ましです(↓写真をクリック)。直前になって駆け込んできた輩に前に出られちゃいましたが、木で何とか隠してごまかしました。でも車までは隠し切れなかった。3号を良い感じに並べてたのに・・・。やだねぇ、自己チュークズテツは!図々しいったらありゃしない!                     

 でもこんなのはまだまだかわいい方。この後もっとすごいのに出くわしますから。八戸ナンバーの超クズテツにね(怒)。はい、移動!



 とりあえず抜きました。後はどれだけ早く先に行けるか?です。

 晴山→岩根橋 こいつの前にも1台追っ払ったのに、直前になって図々しく飛び込んできやがって!どけって言ってもどきゃぁしない!(↑写真をクリック)。一緒に構えてた方は1時間半も前から待ってたんだそうですよ!こんなクズテツ見たことない!先着者優先の仁義守れんようなクズテツは日本から出ていけ!本当に迷惑だ!
      

 綾織→遠野 日本の原風景的なこういうとこが一番好き!人もまばらで気分良く撮れました(↑写真をクリック)。まぁ、客車はねぇ、ちょっと・・・なんだけど(苦笑)。旧客も起せばいいのに。

 

 遠野→青笹 遠野の近くは、ここ!という決め手に欠け、良さ気なとこは車が止めにくいときた。なのでここで手を打ち、弁当食って昼寝して。
  

 上有住→陸中大橋 ここが既に峠を越えた後、というのは知ってましたから、ケムは期待してませんでしたが・・・。下に見える陸中大野の駅でも見せてるんでしょうかね?超スローでお出ましです(↑写真をクリック)。白いケムたなびかせていましたが、空の明るさに溶け込んじゃって・・・。やっぱここは上りですね。次回はそうしましょう。って既得権かい!(笑)
   

 陸中大野→洞泉 テキは陸中大野を出ると軽やかに下る一方。ケムなんて期待できませんから、こんなとこ誰もいません。でも白いケムたなびかせてきてくれました。爆煙とやらよりずっと好きです。黒煙は助手の苦しみなんだけどなぁ・・・(↑写真をクリック)。はい、これにて今回の追っかけ終了。クズテツに2匹も出くわしましたが、まずまずの絵も撮れました。まぁ、良し・・・とするしかないでしょな。



再び三陸海岸を走る
 お次は、ここまで来たついでの宮古へ。どうしても、と言うほどでもないんですが、日大に入ってすぐの頃に行った、ラサ工業専用線の廃線跡を見たくなったもんで。その後山田線に沿って盛岡まで行けば、同じ道走らないで済みますしね。で、盛岡冷麺をいただこうってぇ寸法です。



 走り出してみると、やっぱり釜石以南同様、どこもかしこも工事中。次々作られてゆく防潮堤で、平地では海がほとんど見えません。工事はしていても線路はまだつながっていないし・・・。復興が大分進んだ、初めて走る三陸ですから、ちょっと楽しみにしていましたが、復興なんてまだまだ先の話。



 私は来るのがまだ早かったのかもしれません。でも現状をこの目で確かめられたのは良かったです。やっぱりメディアなんてアテにしちゃだめです。震災は終わってなんかいないんですから!




41年目の磯鶏駅
 今を去る41年前のこと。日大に入って最初のゴールデンウィークでしたっけね。ラサ工業のC108と東北のローカル私鉄を3社を撮りに行ったことがありました。そのラサ工業は山田線の磯鶏駅近くだった、と記憶していたので、廃線跡を見るべくまずはその磯鶏駅へ。しかし着いたはずのその場所に、駅が見当たりません!かつてはちゃんと駅舎だってあったのに!そんなバカな!と匂い(?)のする方へ歩いてみたら・・・



 ありました!でもそこにあったのはプラットホームだけの無人駅。しかも震災からまだ復旧していないので、まるで廃線跡のようです。人が住まなくなった家はダメになる、って言いますが、駅も同じですかね?宮古〜釜石の復旧は2019年だそうですから、今しばらくこの寂しい景色が続くようです。



 と、ここでホームの向こうに蒸機が見えて思い出しました。9625が保存されてるんでした!急ぎ回ってみると公園の中にデンと構えていました。




 このカマ、東北が長かったようで最後は青森で入替やってたようです。



 屋根付きとは言え、海が近いのに保存状態極めて良好!まぁ、塗り分けがちょっと・・・だったりしますが(苦笑)。でも大事にされてることは間違いありません。末永く守ってあげていただきたいものです。

        





痕跡を求めて
 日大1年生当時の記録によると、昭和51年4月29日〜5月2日の日程の内、30日と1日の早朝をここで過ごしていました。あ、ちなみに3泊とも寝袋で駅寝でした(笑)。当時ラサ工業は、ここと宮古港に専用線を持っていて、国鉄がその貨物を運んでたようです。もちろん国鉄側はDE10でした。



 で、このあたりがその専用線、のはずなんですが、いかんせん41年も前のこと。当人の記憶もさることながら、景色も一変してて・・・。トンネルは・・・あの家の奥?こんなに家無かったよなぁ・・・。結局ここでも面影見つけられず、ではありましたが、なんとなく見てみたい、の心は満たされました。



 41年ぶりの宮古駅は、きれいになってますが、建物は当時のものですね。記録には、待合室から締め出されたので外で寝袋で寝たと書いてありました。やるなぁ・・・。って、寝袋持って無い頃からやってたか!(笑) 固形燃料で即席ラーメン煮て食ってたりね。ホント金無かったもんなぁ・・・。



 さぁ、気が済んだので盛岡へ向かいましょう。地図で見るとグニャグニャの区界峠がちょっと気になりますが。アコードだからね。大丈夫でしょ。



盛岡三大麺の一つを食らう
 出撃が決まると、必ず行く先々の旨いものを調べるんですが、ただ調べるだけじゃなくて、ルーツや元祖もチェックします。で、口コミを確認して近くに宿を取る、の感じで。ここ盛岡では「わんこそば」、「じゃじゃ麺」、そして今回いただく「盛岡冷麺」が「盛岡三大麺」なんだそうで。だからって3種は食えんわなぁ、と選別に入り、「わんこそば」は要するに蕎麦だしそんなに食えないし、「じゃじゃ麺」はなんか好みじゃなさそう。ってんで「盛岡冷麺」に決まりました。いつもならそれで「ハイ決まり!」なんですが、調べたら冷麺のルーツって北の某国。あ"〜、これでテンション急降下!それでも何とかならぬか?とリサーチ続けましたが、やはり半島の方々の作。だからか、ほとんど焼き肉屋のメニューです。昨今の情勢に鑑み・・・あそこ好きじゃないんだよねぇ。そうそう、随分前の4コマ漫画に、当時のソ連を評して「ボルシチがまずかったら誰からも相手にされない国」なんてぇのがありましたな。そうね、焼肉とキムチがまずかったら、だわな。でも・・・うまいもんね!まぁ、日本人のルーツの半分はあっちからだし、食文化交流で不問としましょう。「盛岡冷麺」という名も日本で付いたそうですし。ハイ、メデタシメデタシ(笑)。



 で、選んだ店が「大同苑」。お宿はその近くの「ホテルエース盛岡」。しかしさすがは人気です。やはり満席でした。だからって今更引き下がれるけぇ!って、ノートに名前書いて、空いたら電話もらうことにして、歩数稼ぎに町を徘徊することにしました。40分くらい徘徊しましたかね、「空きました!」の電話でようやく入店し、あらかじめ決めておいたメニューを立て板に水のごとく注文。ええ、お肉も。だって、焼き肉屋で肉食わなかったら失礼でしょ!ちゃんとサラダから食うし、って肉食ってんじゃん!だって肉が先に来ちゃったんだもん!・・・冷麺食いに来て何やってんだか。



  そして今宵の主役「盛岡冷麺」の登場です!スープの味はある程度予測できましたが、麺の腰。これは初体験!すんごい強い腰です。お味はもちろんGOOD!けっこうな食文化交流でした。



 本当は「盛岡冷麺」だけ食えればよかったのですが、けっこう散財しちゃいました。でも旨かったし、食文化交流でしたから良しとしましょう!はい、ご馳走様でした!明日は寄り道しつつ閖上に向かいます。

 

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