4月3日 おバカな仲間が待っている!
<熊野〜潮岬>

 こういうのが良いんです

      

 今時のホテルの朝食ってたいていバイキング。だからこういう朝食はちょっと新鮮です。家の朝食が手抜きってこともないけど、やっぱり設えが違いますしね。と言って海づくし!ってこともないごく自然なお献立。そのくせ、なんだったかのカマの塩焼きでさりげなく地力を見せる。こういうので良いんです。いや、こういうのが良いんですよ。ごちそうさまでした。



 いやぁ、なかなか良いお宿でしたね。さて、北上しましょうか。おバカな仲間が待っています!



御朱印巡り/一願寺



 今日は序盤の予定は無く、1時間半ほど走って田辺市のチョイ山の中、一願寺から始めます。ここも桜が満開!でもガ〜ラガラ!

        

 こちら、道機和尚の残した言葉「私の供養に地蔵尊を刻み人通りの多い所に祭ってください。そうすれば通りがかりの人も香華を手向けてくれるでしょう。その代わり一度に一つの願いは必ずかなえてあげますよ。」に従い汐見峠(熊野参拝ルート上)に安置し、後に現在の境内に移転した、んだそうです。ええ、HPからの情報です。



 そんなことから一願寺と呼ばれてますが、それはあくまで通称。本当は雪峰山福嚴寺。安珍清姫物語の安珍の菩提寺でもあります。



 見事なこの天井画は信者の皆さんに奉納されたものだそうです。



 和尚の大好きなからしとお酒を供えてお願いするので「からし地蔵」とも呼ばれてるそうです。って、えぇ〜そんなの知らないよ!お供えしなかった!ってことは、お願いは聞いてもらえなかったかも!?(笑)



保存機巡り/C577



 山を下りたら、ちょっと保存機巡りが続きます。まずは田辺市市民総合センター隣のC577から。屋根付きでコンディションも上々ですが、煙室前端は角ばってるし集煙装置外して煙突短かくて不格好だし、で趣味的には今一つ。

        

 でもこのカマ、晩年の紀伊田辺時代は結構活躍してて、昭和47年の鉄道記念日に汐留〜東横浜で記念列車を、翌年の紀勢本線無煙化ではさよなら列車牽いてます。調子良かったのかな?



 それにしてもなんでわざわざこっちから東京へ?と思ったけど思い出しました。同時期に新津のC571も千葉で記念列車牽くことになってたし、その後梅小路入りも控えてたんでした。数も減っててやり繰り出来なかったんでしょう。あ、もちろん私は千葉行きました。中3でした。



 南紀を走ったカマにはシュロの木が似合います。はい、ではお次。次も保存機ですが、そこで最近よくツルんでる山内夫妻と合流予定です。




おバカな仲間と合流!



 次は湯浅町なぎ公園。ここで正月以来の山内夫妻と合流です。我々を迎撃すべく大阪から南下してくれて、連絡取りながら距離を詰めてたらD51737のいるここになりました。しかしこれはひどい・・・



 東北が長く最後は北海道で最後まで生き残ったカマなので、所縁のカマではありません。でもこの辺D51も走ってたから良しとしましょう。



 しかしねぇ、海のすぐそばなのにロクに手入れしなかったんでしょう。自治体の懐具合で決まるとはいえ残念です。案の定持て余され、この年の9月に解体されたそうです。




和歌山のラーメン



 無事合流できたんでまずは腹ごしらえ。狙いは和歌山ラーメンです。と言っても特に調べて無いのでしばし彷徨い、次の目的地をチョイと過ぎた紀伊宮原駅前で食堂見っけ!



 まるみやという昔ながらの昭和な駅前食堂でメニューも豊富。もちろんラーメン頼みましたが、特に和歌山ラーメンとは書いてありません。



 それもそのはず、そもそもその呼び方は1990年代からで、賞取ったりメディアに取り上げられてからのこと。つまり、昔から日本中どこにでもあるごく普通のご当地ラーメンです。トッピングは東京圏とはちょっと違うけど、スープも親しみあるしょうゆ味。お味もいたってまじめで、安心していただける和歌山のラーメンでした。



保存機巡り/2両のD51
 お次はチョイと戻って旧有田鉄道金谷口駅跡の有田川鉄道公園へ。ここには2両のD51が保存されていて、1両はは圧縮空気で自走するとか。でもコロナ&平日。まぁ、期待はしないことにしときましょ。



 入り口で迎えてくれたのはD511085。関西→関東と流れ北海道で最後まで生き残りました。北海道のカマらしくない美しさ!(笑)。

       

 柵が邪魔な時は広角で強引に。奇麗だけどこのカマは動きません。



 もう1両は何処?と奥まで歩くと・・・いましたD51827!このカマは中京地区一筋で、最後は中津川でさよなら列車も牽いてます。その後個人で保存されていましたが、こちらに引き取られて動体化しました。



 でも車庫の中でこの感じ。殆ど撮れませんでした。おかげでまた来る口実ができましたが(笑)。では御朱印巡りに戻りましょう。




御朱印巡り/玉島神社〜鹽竈(しおがま)神社


 まずは玉津島神社から。こちらは和歌の神様を祀ってるそうな。・・・いろいろな神様がいるもんですな。



 こちらは境内にある根上り松なるもの。砂浜に生えた松の根本の砂が吹き飛ばされて枯れたもので、一時期御神体になっていたこともあったそうな。やっぱり日本って八百万の神様の国、ってことですね。



 お次はすぐ隣にある鹽竈(しおがま)神社へ。安産子授けの神様を洞窟(?)の中に祀ってあるこじんまりとした神社です。



 海の幸、航海の安全の神様でもあり、その神様は製塩方法を教えて全国を回ったそうです。実際ここでも大正時代後期まで製塩が盛んだったとか。で、鹽竈?あれ?安産や子授けは?(笑)



 その向かいにはこんな橋があります。不老橋と言って、江戸末期に紀州徳川家が御旅所に向かう御成道に架けられました。肥後熊本の石工集団の作、ってことは熊本城の石垣組んだ石工たちですかね?そう思うとすごく堅牢な造りに見えますな。和歌山市指定文化財になってます。







御朱印巡り/恵運寺



 1619年に開山した開運祈願のお寺ですが、紀州忍術資料館が忍者ファンの間で話題になってる、って、甲賀と伊賀の他にもあるんだ!



 こちらがその資料館の展示品。手裏剣とかありますね。



 そもそもは、日本三大忍術書の一つで紀州忍術の秘伝書、正忍記を著した名取三十郎の墓と位牌が、イギリス人研究家の指摘により2012年に供養塔から見つかったのが契機だそうです。で、2月22日(ニンニン)には「忍活御朱印」がいただける!?紀州忍術猛アピールですね!




保存機巡り/C57119



 奥様のお供、のはずがここでまた保存機を。今日はいつになく鉄分多めで、5両目は和歌山城隣の岡公園でC57119を愛でます。

       

 このカマも煙室前端角ばってますが、何か意味あるのかな?C55の角張をC57で丸みを帯びさせたのは、実に好ましいモデルチェンジだったのに・・・。集煙装置も付いてるから余計ゴツく見えますよ。

 でも趣味的には採光改善のための三角窓が付いてたり、ロッドが現役さながらに磨き込まれてたのは実に好ましいいです。キャブも錆止め塗ってメンテ中だし。いつもまでも良好なコンディション、保っていただきたいものです。



 では本業(?)に戻りましょう。



御朱印巡り/淡島神社



 今回の〆は人形供養で有名な淡島神社。はっきり言ってここすごいです。境内のいたるところに、供養のために奉納された人形がビッシリ!ちょっと不気味かも。



 種類ごとに並べられ、フランス人形や信楽焼のたぬきまで!その数なんと2万体以上とか!ひな人形がいっぱい!ってぇのは見たことありますが、こういうのは初めてです。う〜ん、たぬきもこれだけ並ぶとやはり・・・。ん?熊とかも?何でもありっすね。



 それに目を付けたメディアがホラー的に取り上げましたが、「見られることが供養になる」、と神社はそれを受け入れたそうです。だから日本人形協会とは仲悪いそうです(苦笑)。



 では人も車も〆の一枚撮って今夜の宴に備えましょう。



 浜で何かやってますが・・・お祭りかな?







本場の串カツ
 実は、ここんとこよくツルんでる山内夫妻は、車仲間でテツ仲間で飲み&食い仲間!しかも繁華街近くにお住まい!なので初の大阪の宴はおまかせです!通天閣のこの色は、何もなければ奇麗だけど警戒色なんだろうな・・・

           

 看板はいつも通りに賑やかそうでも人出は少ないですもんね・・・



 で、連れてってもらったのは、日本一の串カツ横綱通天閣店。大阪の食いもん数あれど、まずはここから、って。ん〜、やはり店内も空席が目立ちましたねぇ。お店でもできる限りのコロナ対策はやって頑張ってるんですけど・・・



 さて串カツ。この手の店は1度だけ行ったことありますが、本場ではもちろん初めて。調子こいてあれこれ頼んじゃったからこ〜んなに!でもね旨いんでペロッと食っちゃいましたよ。楽しい仲間と久々の宴だから話も飲みも食いも弾みますしね!この後も秘密基地のような山内夫妻宅にお邪魔して、宴はまだまだ続くぅ〜!




今だから書きますが・・・
 ちなみに、これ書いてるのは2021年2月です。↑の宴の様子ですが、この頃は感染者も今に比べりゃまだ少なくて、さすがに人出こそ減っててもこんなことはまだ普通にやってました。この後に出る非常事態宣言ですら今考えれば・・・ですしね。まだまだ長閑でした。

 

4月4日へ

戻る