5月17日 木曽路をたどる

飲んだら早起き!

 お泊りの酔っぱらいは早寝早起きなのでまずは朝風呂へ。誰もいないから貸し切り状態!ん~、たまらん!
     
 お湯良し!眺め良し!良いお風呂です!

 朝食は和定食。バイキング慣れしちゃってるので嬉しいですねぇ。ん?朴葉味噌が念を押してますよ。お代わりするよな?って。しゃあねぇなあ、と一杯だけ(笑)。

 大変良いお宿でした!おっ、あのガキどもか?館内で会うとちゃんと挨拶できる子たちでしたよ。





午前の保存機巡り

 帰路も全て保存機めぐりです。1両目は上麻生駅前のC12163から。七宗町役場で管理されていて、申請して鍵を開けてもらって見学します。なかなか立派な施設に収まってますね。

 転轍機やお稲荷さんもあります!

 四国が長くて、小松島時代にはお召も牽いています。ごく短い間ですが戦前美濃太田にもいたことあるので、所縁のカマではあります。
      
 程よくやれた感じが嬉しい。塗られてないロッド磨いたら現役機かと思うほど。これからも大事にしていただきたいものです。



 続いてとても立派な恵那市中央図書館に保存されてるC1274。新製から昭和30年まで小牛田で以降中津川のみという移動が極めて少ないカマです。

 ん~、しかしなんとも野暮な白い柵付きです。この柵で何から何を守ってるんですかね?落っこちて怪我した子供の保護者から担当職員を?いや市長かな?

 まずまずのコンディションで保存されてるんだからモンク言っちゃダメかな?(苦笑)。





質素な昼食
     
 ランチは中津川駅の立ち食いそば。関東風濃いめのおつゆが嬉しい!

 続いてデザートはおふくろの五平餅を。

 注文受けてから焼いてくれます。

 焼けました!焼きたて!うまい!キケン!(笑) 
     




午後の保存機巡り

 午後は籠の鳥のような厳重保管のD51266から。

 終生名古屋局管内で昭和24年からは中津川のみ。よほど調子よかったんじゃないですかね?だから引退後もこのように大事にされてるんでしょう。

 お世話してくれる方たちのお陰でロッドもタイヤも鉄の地肌の磨き出し!油と鉄の匂いまでする!素晴らしい!けど撮りにくい(苦笑)。




 お次は旧中央西線跡の南木曾SL公園のD51351。露天でこのコンディションはまずまずかと。ただロッドも全部黒塗りってぇのは・・・
      
 新製から20年ほど福井で、富山を経て新庄、横手。最後は木曽福島でした。集煙装置取らなくてもいいのに・・・

 ここはこのカマが木曽福島に来る前に廃線になってますから、実際には走っていませんが、緩いカーブ上に置かれているので、撮りようによっては・・・。ついでに貨車も・・・なんてゼイタク!?

 んではお次へ。まだ雪の残る、なんてぇ山だか知らないけど、こんな景色を愛でつつ走ります。

 寝覚ノ床過ぎたら左折。木曽山中にもぐりこみます。少し登るとさっきの山、かどうかは知りませんがこんな景色も楽しめます。

 ところが、グーグルナビに導かれるまま走ってたらダートへ突入!散々揺さぶられました。やがて舗装路に戻りましたが、距離優先のナビだからショートカットコースを走らされたようです。そして着いたのは・・・





木曽森林のボールドウィン

 
お次は木曽森林のボールドウィンが保存されてる森林鉄道記念館。

 
当時使われてた車両が保存されてます。有名な理髪車もあります。

 そして・・・これが見たかったあ!のボールドウィン!

 煙突の形状から薪で走ってたイメージですが、これは火の粉の飛散を減らすため。戦中戦後の石炭不足の時以外は石炭焚いてました。

 キャブの後ろにどっさり薪積んでそうなイメージですけどね。

 
この愛くるしい姿!たまらん!


 この軸配置も模型みたいで胸キュン!ヤフオクで買ったこれの模型いじりたくなってきちゃった!(笑)

 この後赤沢森林鉄道に乗るつもりでしたが、発車までの時間がもったいないのでここまで。ボールドウィン拝めたんだから充分でしょう。

 山降りる途中こんなのを見つけました。廃線跡の橋脚でしょうね。ここ走ってたんだ・・・



 お次は木曽福島駅のD51775。屋根下でコンディションもまずまずながら、動輪とロッド類の塗りに一言・・・いや残していただいてるだけでもありがたいんですから文句言っちゃいけません。。
      
 一時期糸魚川にもいましたが、新製からずっと福井で最後は木曽福島でした。

 中2の夏休みに扇形庫で撮った記憶が…。その構内に今は面影のかけらもありませんが・・・



人生の分岐点
 お次は原野駅にチョイと寄り道。ここ雅巳少年のその後の人生を決めてしまった、と言っても過言ではない出来事のあった駅なんです。

 窓はアルミサッシに変わっていましたが、当時のままの佇まいは懐かしかったですねぇ。さて、ここで何があったのか?

 中2の夏休み、弟と親父殿に連れられ、C56の八ヶ岳高原号で小海線へC56撮りに行ったんですよ。翌日は中央西線のD51でしたから、小淵沢で乗り換えだったのに上下線間違えて迷子に。乗ろうとした電車の新宿(乗るべきは松本)行きのサボ見た時は焦りましたねぇ。

 それでも降りる駅名は聞いていたのでただちに追跡開始し!それがこの原田駅で、着くと早速近辺を探したんですが、宿名さえ知らないのに見つかるはずありません。そこで雅巳少年開き直りましたねぇ。「周遊券持ってるしせっかく来たんだからもったいない!なぁに、水さえ飲んでりゃ死にはしないさ!」と駅のベンチで野宿を決め込みました。そう、このベンチで。

 ところが駅を閉めて帰ろうとした駅員に見とがめられ、事情を話したらあちこち電話して宿を探し当ててくれたんです。やがて宿のおかみさんが迎えに来てくれましたが親父殿も弟も着いていないと。?と思って家に電話するといるじゃないですか!はぐれたと気付いたけど子供のことだから帰ったと思ったんだそうな。既にんなヤワじゃなかったんですなぁ(笑)。

 翌日親父殿が宿代届けに来てくれましたが、この実績(?)で同行無用を受け入れて(諦めて?)くれて晴れて単独蒸機撮りのお墨付きを!まぁ、駅名だけで宿に着いちゃった逞しい息子でしたからね。おかげで以降九州も北海道も保護者ナシで撮りに行けましたから、普通の中学生や高校生にはできない貴重な経験と「感じる」をたっぷりと。

 そんな出来事があった駅なんです。今の自分に連なる人生の分岐点、なんて言ったら大げさ?でも塩尻から心細さいっぱいで乗ったDD51の客レの音も、宿のおかみさんが出してくれたおにぎりの味もちゃんと覚えてますよ。




閑話休題
      
 保存機巡りに戻りましょう。お次は中山道藪原宿一里塚跡のD51238

 苗穂工場製ながら新製からずっと関東で、会津若松を経て最後は中津川でした。屋根付きだしコンディションもまずまず。

 



 さ、日が暮れる前に残りをやっつけましょう。お次は奈良井宿のC12199。珍しいデフ付きです。

 新製配置は山形で戦後飯山経て以後最後まで木曽福島でした。
      
 露天のコンディションとしては良いほうかと。

 しかしなんでデフ付けたんでしょ?なんか似合わない気も・・・




 〆は塩尻市役所のD51155。日が長いんで間に合いました。

 戦前は米原、大垣。戦後は上諏訪が長く最後は中津川でした。このカマも屋外ながらまずまずのコンディション。大事にされてますね。

 


 さぁ、これにて任務完了。明日ライブだし帰りやしょう!おっと、その前に食の〆も。塩尻と言えば山賊焼きですから元祖の店で、は我慢してみどり湖PA小木曽屋源治郎にて定植を。にんにく醤油に漬け込んで衣付けて揚げたら旨いに決まってます!で、その通り旨かった!

 いやぁ~、けっこう充実の2日間でした。2号もよく走ってくれました。義理を果たす旅、これにて無事お開きに。

 

 

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