秋の西方行脚 2011-2 10月14日/〜広島〜防府 起きろぉ〜!
とにかく走れ!
お好み焼き??? |
幸い一番賑わってた「麗ちゃん」という店のカウンター席が空いたので、ままよ!と納まりました。おかげで一番見たかった焼きの一部始終を拝めましたが、ありゃ関東のとは全く別モンですな。和風クレープと言ったほうが分かりやすいです。注文したのは基本形(?)の豚肉卵そば。予想通りかなりのボリューム!お腹いっぱいになっちゃいました。しかし立ち食い系ファーストフードが730円というのはいかがなものか?ま、何事も経験、良しとしましょう。
献花???
広島電鉄 |
原爆ドーム |
しかし「ガイジン」の目にはどう映ってるんでしょうね?戦勝の証?はたまたポンペイの悲劇の類ですかね?戦勝国から見ればそうかもしれないし、外国で起こった過去の悲劇と見るならそれも致し方ないか。今に日本人にとってもそうなってしまうのかなぁ・・・。これは断じて観光資源などではないんだが・・・。 |
66年と2ヶ月前のあの日、いつものように暑い夏の1日が始まり、8時の始業とともに仕事を始めた人たちが確かにここにいたんです。それが数千度の熱戦と音速を超える爆風で一瞬のうちに・・・。この正面玄関を見ていると、忙しく出入りしていた人の様が姿が浮かんでしまいます。その瞬間までいつもの夏の朝がそこにあったのに・・・ |
ほぼ真上で爆発したためなぎ倒されることなく残ったこの建物。悲劇の生き証人は見る者に何を語りかけ続けるのか・・・。
広島平和記念公園、資料館 |
それが資料館に入ると様相は一変。今見ていた平和な光景とは全くかけ離れた世界がそこにあります。人類が始めて浴びてしまった巨大なエネルギー。そこを掻い潜り残った展示品の数々。変形、変質した「現物」が、あの日ここで何が起こったのかをリアルに伝えています。言葉や写真などで分かった気になってるならそれは間違いです。一度で良いから見に来てください。曲がるはずの無いものが曲がり、溶けるはずの無いものが溶けているんですから・・・。 |
このジオラマ。実はこういうものがあったら、と思っていたそのものあり、しばらく見入ってしまいました。天井からぶら下がってる赤い球が爆発1秒後の原爆です。広島全体と被爆前後の公園周辺のものがあり、ここで何が起こったかを、視野を変えて示しています。たった一発でこの変わり様・・・。その破壊力に絶句です。じっと見つめる若者がいましたが、彼の胸にもきっと何かが焼きついたはずです。 |
しかしやられっ放しではありません。直ちに始まった救護活動の様子も多く展示されています。また、比較的近い場所から撮影された、見上げるきのこ雲の写真もあります。全てが灰燼に帰したとばかり思っていたので、これには驚きました。爆心地近くでも、たまたま物陰にいて生きながらえた方もいたんです。「どっこい生きてる!」そんな言葉が浮かんでしまいます。 でもね・・・。確かにこの施設も展示品も、原爆の悲劇を後世に伝えるにはどれも一級品。しかしそれは同時に、被爆した方たちの思い出したくも無い暗く悲しい記憶そのもの。あのドームでさえ取り壊しの嘆願が多く寄せられたと聞きます。被爆した方たちにしか分からぬ辛く悲しい思い、奪われ背負わされた未来・・・。今の広島から隔離されるかのように存在するこの資料館は、伝えるべき過去と忘れたい過去との相克そのものなのです。 私は行きの広電で、活気ある町並みに福島を重ね「復興」、「人間の逞しさ」を見出そうとしていました。でもそんな簡単な話ではありません。電停に戻りつつ眺めたドームも、もうさっきとは違って見えす。これは単なる悲劇の記憶ではありません。被爆した方たちが、広島が、何の罪も無いのにある日突然背負わされた重い十字架だったんです。それでも毅然として世界に向かい背負い続けている!
今夜のお宿は・・・どこだ!? -T
今夜のお宿は・・・どこだ!? -U
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がんばれ東日本!