6月26日 帰り道も寄り道旅
<大阪〜市川>

カントリーに食らいつけ!


 今日もお弁当です。ちょっとバイキングも恋しい気もしますが、ちゃんと日替わりで飲み明けには適量です。お味もまずまず。さて、これ食ったらもう帰るんか、面倒な大阪の高速通って・・・、なんて心配してたらカントリーで先導してくれるとのこと。地元の強み!助かります。



 8時過ぎにはもう迎えに来てくれたので、後はもうひたすら付いてくのみ。スキあらば割り込まれる土地柄ですから必死です(笑)。



 単独なら目立つ我々の車も、渋滞の中では小柄故隠れてしまいます。とにかく割り込ませない。でもそうもいきませんねぇ。けっこう入られちゃう。そんな時は1台前、いや3台前!なんて数えてながら食らいつきます。



 そんな努力の甲斐あって無事吹田SA到着。ここで解散です。お世話様でした!ここで4月にミーティングやり損ねましたが、これで一矢報いた、かな?では寄り道しながら帰ります。



帰りも保存機巡り


 今朝は草津のチョイ先稲荷公園のD51403から。

       

 前半は日本海側、後半は関西で、最後は奈良でした。



 ロッドは塗られてませんが、だいぶ錆びてます。周りも草が生い茂ってて・・・。自治体の予算?このままでないことを祈ります。




 お次は彦根の手前、多賀にあった多賀SLパーク跡のD511149。



 水戸に10年ほど。後はずっと北海道で、最後まで生き残ったクチです。

      

 当時の様子はよく分かりませんが、10系寝台連ねてSLホテルだったとか。物珍しから最初は賑わっても、すぐにすたれて廃業。このカマだけ残りました。



 多賀町町おこしに活用の話もあるようですが、豊田市への譲渡移転が有力みたい。いずれにしろ船底テンダーのカマは生き残れそうです。




 お次は琵琶湖に沿って走り長浜へ。ん?ちょっと降ってきましたな。でもこんなとこ走ってると、琵琶湖をバックに1枚!なんて写欲が。まぁ、具合の良い所なんて、見えてる景色ほど無いんですけどね。



 で、目的地はここ長浜鉄道スクエア。日本最古の駅舎をそのまま保存した旧駅舎、長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館で構成されてます。



 明治政府は、既に開通していた神戸〜大津+連絡船で長浜に至るルートと、既に決定していた東京〜高崎から、東京大阪間を中山道ルートと決定。この駅はそのルート上、鉄道と連絡船の乗り継ぎ駅でした。しかし全通わずか3か月後、陸路の湖東線開通で中継駅としての役目を終えました。



 保存機はD51793とED701。どちらもピッカピカです。



 以前は露天でしたが、この建物に収まり素晴らしいコンディションを保っています。ロッドは正に生きている鉄の色!

       

 東海道、中央、北陸と走り、金沢で廃車後ここに保存されました。



 運転室も現役さながら。素晴らしい保存状態です!

      

 一方こちらはED701の運転室。電化当時、煙くて暑い蒸機から開放されてどれほど乗務員が喜んだことでしょう。蒸機びいきでもそれは分かります。



 電化で蒸機を追いやった電機も既に博物館入り・・・。なんて思ったら、北陸線の電化は昭和32年。その当時のですもの当たり前か。かつて赤ブタと忌み嫌ったDD51ですらほぼ全滅ですしね。



 この建物ができるまで露天だったんですよね。これからも大事にしてほしいものです。さて、琵琶湖をバックに、を撮りに行きますか!



 しかしウロウロしましたがイメージ通りの絵は、と言うよりそれ以前に、どんな絵にしたいのか定まりません。琵琶湖の広さ大きさを切り取れば、3号ちっちゃくなって単なる風景画。逆は単なる3号の写真。で、その折衷案(苦笑)。



 ではお昼にしましょ、とコンビニで仕込んだら、F/Bに「長浜にいるなら近江ちゃんぽんを!」と書き込みが。グーグル地図で見たらすぐそこにあるじゃないですか!天の声に導かれるがごとく収まりました。



 長崎のそれとは大分違う感じですね。お味はもちろんGOOD!



 地のものをいただけて良いランチでした。では次に参りましょう。





 お次は大垣市スイトピアセンター・こどもサイエンスプラザのC11155。ここも屋内保存でピッカピカ!大垣が長かったようで、樽見線のお別れ列車も牽いてますすから、正に地元所縁のカマです。

        

 ロッドも鉄の地肌。でもピカピカじゃなくて、程良くくすんだ現役そのものの鉄の色。すばらしい!



 学芸員さんに他も見てほしいと言われましたが、私これを拝みに来ましたので、ときっぱり断りました。だってぇ、こどものでしょ?(笑)



 これからもこの素晴らしい環境のもと、大事にしてほしいものです。




 お次は岐阜市梅林公園のD51470。これまた素晴らしいコンディション!

        

 なんと加減弁動くし!火を入れたら走れちゃうんじゃないの!?



 勿論ロッドも油で磨いた鉄の色!露天でこのコンディション!お世話してくださる方には頭が下がります。


 

 デフのマークは厚狭機関区モデル車マークの復刻版だそうな。



 いやぁ、ええもん見せてもらいました!では〆へとまいりましょう。


〆は飛行機で
 〆はかがみがはら航空宇宙博物館。蒸機じゃないけどこれも立派な保存機です。ただし好みが偏ってるので好きなもんしか撮ってません。まずは戦後の国産旅客機の先駆けYS-11から。



 そして新明和のUS-1A救難飛行艇。元を正せば川西航空機だけあって、二式大艇を彷彿とさせます。現物見てますからね。



 P2-J対潜哨戒機は子供の頃からスタイルが好きでした。P2-JはP2を改造した日本版なので、ネプチューンじゃなくておおわしだそうな。



 館内では乙式一型偵察機から。ライセンス生産ながら国産です。



 その骨組みです。こうやって見ると囲いはあるけど、これで飛ぶのって・・・こわ!



 このロ式エンジンもライセンス生産ですが、冷却効果を高めるためにペラといっしょにエンジンが回る?なんだそりゃ?

      

 そしてこれが今日のスペシャルディナー 三式戦闘機二型 飛燕



 国内現存はこの1機のみ。米軍から返還されてからは各地で展示され、私も小学生の時(どこだっけ?)と知覧でも拝んでます。でも知覧に展示されてた時の塗りはちょっとなぁ・・・でしたね。



 2016年川崎重工創立120周年記念事業で、知覧から引き取り復元されました。オリジナルに拘り、戦後の余計な加修なんぞもとっぱらったそうです。分解し塗装も剥がしたら、製造番号や日の丸も見つかったとかで、元の状態が分かるように塗装もあえてしていないそうです。



 この機体各務ヶ原工場生まれですから、生まれ故郷への凱旋です!



 増槽は女学生がベニヤ板を丸めて、だそうな。ベニヤ板か・・・とは思うけど、これはこれで良い工作かも。



 ではここでデザート(?)を。十二試艦上戦闘機、の1/1レプリカです。ペラが二翔で違和感ありますが、試作段階の再現なので塗装と合わせてこちらが正解。振動問題で三翔に換えたのでごく短い間の姿です。



 52型に目が慣れてるし、スピナーもないんでちょっとカッコ悪い。



 飛燕とゼロ戦のインパネは、エンジンが液冷と空冷の違いでこんなに幅が違います。ってことは空冷化の五式戦は、随分とアンバランスだったことでしょうな。



 四式重爆の模型と2000馬力級エンジンのハ42の実物。どちらも三菱製で高性能ながら登場時期が遅過ぎました。



 他も一応回りましたが興味は今一つ。宇宙?あ、行かなかった(笑)。



 はい、これにて寄り道見物はお開きに。浜松寄って中川屋でうなぎ食って帰りましょう。



 のつもりでしたが、中川屋臨時休業で食いッパぐれ!まさか往復でうなぎにフラれるとは!なので食うのは後回しにして、アニーさんとこで美味しいコーヒーいただくことにしました。



 おかげで途中眠くなる事も無く、とはいかない。仮眠取りつつ走って深夜無事帰投しました。山内の武ちゃん&和ちゃん、お世話様でした!



ダメじゃん!


 翌朝さっそく5号持ってきて現物合わせしたら、長さも形状もまず間違いないんですが、エキマニ側が・・・。ポン付けは無理です。結局取り付け叶わずでセンターパイプは溶接修理してもらいました。つまりこれは単なる飲みに行く口実、ということに。でも楽しかったし美味しかったから良しとしましょう!
 

 

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