西方行脚2013/旧江田島海軍兵学校〜大和ミュージアム〜下関〜八代 9月16日 帝国海軍を偲ぶ |
江田島へ いい天気ですが京都ではとんでもないことになってるようで・・・。でもそれが昨日のミニミーティングとどうにもリンクしません。そんなすごい雨には思えなかったし・・・。方や災害、方やお遊び(しごとだぁ〜、と強く言えない・・・)。ちょっと複雑な思いでニュース見てました。さ、今日は1日旧帝国海軍三昧で江田島と大和ミュージアムを巡ります。もちろん慰霊の気持ちを込めて、です。しかし相手があの戦艦大和でははしゃいでしまいそうで・・・(苦笑)。 |
宿は素泊まりでしたから朝のお勤め済ませたら出発です。と言っても5分もかからず着いちゃいます。まずは駐車場、とうろついていてたら江田島行きフェリー乗り場のPが良心的。大和ミュージアムも連絡通路で繋がってます。さっそく車を納めて売店のパンかじりながら瀬戸内海汽船フェリーの時刻表見たら、チョイ待ちで船が出ます。特に順番決めてなかったので、まずは江田島からとしましょう。
生徒たちの見た風景 当時の江田島海軍兵学校は東大、京大に匹敵する難関だったとか。言わば超エリート。その誇りを胸に「お国を守る」という熱き思いでこの島に渡ったのでしょう。もっとも、そのエリート意識が戦争末期、学徒動員の予備士官たちとの確執の元となったとか。その様子は映画「戦艦大和」でも描かれています。また兵学校の様子なら映画「 この島へは車でもいけるのですが、思いっきり遠回りで1時間近くかかります。フェリーなら約20分で江田島小用港へ。そこからバスと徒歩で10分程度で着きますからこっちで正解でしょう。
旧江田島海軍兵学校 現在「海上自衛隊第1術科学校」という自衛隊の学校として使われているこの施設は、明治21年以来海軍将校を送り出し続けた海軍兵学校をほぼそのまま使っています。呉は空襲でメタメタにやられたのに、ここは爆撃対象から外されてたとかでほぼ当時のままだそうです。つまり歴史的建造物で勉強してるってことですね。ですから勝手にうろちょろ動き回ることは許されません。学校ですから。 正門で受付済ませたら見学者控え室(江田島クラブ)へ。ここで説明&注意など聞いたら案内係に従って構内へ。ちなみにこの案内係の方はここのOBだそうです。ですからいろんな話が聞けて興味深いです。もっともマイクなんて使いませんからそばにいないと聞き逃しちゃいます。 |
こちらは教育参考館で、多くの資料と共に特攻隊員の遺書等も展示されている神聖な場所。それゆえ服装にも制限があります。事前にそのことはチェック済みでしたが、うっかり短パン+Tシャツ+サンダルのまま来てしまいました。当然館内見学は遠慮して屋外の資料見学へ。 これは真珠湾攻撃に参戦した特殊潜航艇。昭和35年に真珠湾港外で引き上げられ20年ぶりに里帰りしたそうです。他にも大和の主砲弾や当時のハイテク兵器である酸素魚雷等が展示されてます。 |
大和主砲弾と九一式航空魚雷↑↓九五式と九三式酸素魚雷
↓ガダルカナル島攻防で使われた36センチ徹甲弾と奇跡の駆逐艦「雪風」主錨↓
資源も工業力も乏しい当時の日本がこれだけのモノを作り上げたかと思うと、テンション上げるなと言うほうが無理な話。しかし「海竜」のずらり並んだ大きなバッテリーは、素人目にも隔世の感があります。
戦艦陸奥の4番砲塔も見たかったんですが、このコースには入ってないそうで・・・残念!1時間半ほどで江田島クラブへ戻って見学終了。ここ売店やら食堂もありますので、ちょっと早めのお昼はもちろん呉海軍カレー。この海軍カレーは基地や艦艇ごとに独自のレシピで作られていて、今も昔も金曜日はカレーの日だそうです。もちろん土産にレトルトを買い込みました。味?もちろん旨いですよ。まぁ、個人的には鹿屋のほうが好きかな?
食事も済んでバス停に行ったら・・・ぜんぜん無い!次を待ってたらフェリーも次のになっちゃう!ってんでタクシーで小用港へ着くとちと早すぎ。すること無いから待合室で一眠り。それでもまだまだ。暇に任せて家に電話したら、すんごい風で車庫の屋根がこれまたすんごい音してたとか。台風来てたんですもんね・・・。おっ、フェリーが来ました。
大和ミュージアム 1/10の戦艦大和の模型はお見事!の出来栄えで見入ってしまいましたが、実物の持つ凄みはあろうはずも無く、あくまで「模型」として見ています。 |
いやぁ、それにしても良い出来ですぜ!でも「慰霊」とは無縁の空間・・・
特別展示室では大和艦橋の実物大レプリカなんかもあって興味深いです。
こちらは隣の大型資料展示室で、海竜、回天、ゼロ戦等の実物を展示しています。やはり実物の持つ迫力!なのになんでしょうこの違和感。今まで訪れたどの記念館とも違う雰囲気です。明るすぎ?綺麗過ぎ?人が多すぎ?見ている人たちもまるで博物館の恐竜でも眺めてる感じです。 ここにあるのは、当時のあらん限りの技術と乏しい物資で作った「武器」ですよ!この武器でたくさんの若者が勝利を信じて戦い散っていったんですよ!今日の平和の礎なんですよ!他所の国の話じゃないんですよ!分かってんのかな?いったいどんな思いで見てるんだろ?英霊たちも草葉の陰で苦笑いしてるかもね。でも平和が一番なんだから、これで良いって思ってくれるかな? なんか・・・慰霊の思い、どこか不完全燃焼・・・。でも↓これ見てる時はテンション上がっちゃう!不謹慎ながら・・・あ〜、やっぱカッコいい!
ゼロ戦52型を戦闘爆撃機型に改造した62型です。当時各基地で改造は行われていたようですが、これは最初から戦闘爆撃機として生産されたタイプ。終戦間際琵琶湖に不時着したものを'78年に引き上げたそうです。その手前は栄三一型エンジン。ゼロ戦の定番栄二一型の改良版で、馬力もUPしたんですが実戦には間に合わなかったとか。
しかしなんか違うんだよなぁここ。「慰霊」という気持ちになれません。が、それもそのはず。今まで訪れた平和記念館の類とは趣旨が違いました。ここは呉の歴史や技術を伝えるのが趣旨で、そちらの大きな展示室もあります。でも「それらを通じて平和の尊さを・・・」という説明には違和感を覚えます。なぜなら、ここに展示されている「兵器」は、戦争初期こそ連合軍を圧倒しましたが、あっという間に追いつかれ追い抜かれ、たくさんの若者の命を奪った遺品ばかり。なのに悲惨さより技術のことばかりに思えます。なんか・・・ちょっと・・・
再び西へ! 来る時走るはずだった広島高速から山陽道へ入ったらあとはもうひたすら太陽を追っかけて走ります。でも退屈なんてしません。2号も快調!気持ちイイ時間がゆったり流れます。
九州再上陸 壇ノ浦PAで御約束の写真撮ったら2号九州再上陸。と言うの、もこの子は京都から身売りで大分に行って、ヤフオクでウチの子になったもんですから。その時はローダーでしょうから今度は自力です。京都時代にも来たかな?ま、1号だって前オーナーの時代は知らないんですから「再上陸」でいいのだ!
熊本ラーメンにはまる! 入ったのは「桂華ラーメン」。前回熊本で食べて「熊本ラーメン好きかも!」と思ってたんで、でも、八代はまた違うのかな?と思いつつ暖簾をくぐります。まずはナマ&餃子、そしてラーメンを注文。こちらの餃子はポン酢でいただきます。ホォ、これもありかな?で、出されたラーメンはごくふつーのとんこつラーメン。でもふと見ればカウンターに揚げにんにくのどんぶりが。これ入れるんだよね?と入れてみて・・・これだぁ〜!前回食って好きかも!って思ったあの味です!けっこう入れちゃいました。もちろんとんこつも嫌いじゃありません。でもなんとなく物足りなく思ってたのが揚げにんにくで化けます!これですよ!以来熊本ラーメンにハマってます。
予習もそこそこに |
がんばれ東日本!