西方行脚2017/熊本〜島原〜天草〜長島〜出水〜八代
4月20日
島原天草島めぐり

人生なりゆき
 今は亡き立川談志師匠が生前よく色紙に書かれた言葉に「人生成り行き」というのがあったそうな。今日の島めぐりはその最たるものかもしれません。だって、当初の予定では、かすりもしないエリアでしたから。それが、乗るつもりのフェリーがドック入りで日程が前後に1日ずつ伸び、丸1日浮いてしまって急遽組み込んだんですから。そうでもなければまず行くことはなかったでしょう。でも行ったことのないところへ行くのは心嬉しいもの。事前調査は結構リキ入っちゃいましたから。

 

島原湾をゆく
 初めて渡る島原へはフェリーが2社あるんですが、所要30分の熊本フェリーが点検で運休では選択肢はありません。所要60分の九商フェリーになりました。は、良いんですが、始発が7時で次が8時半。できれば始発に乗りたいところです。でもそのためには6時半には出なきゃ?え〜、で、ついいつも時刻(6時半)のお目覚めだもんね。まいっか!とゆんべの残りもので朝飯済まして、でもだらだらやってるからギリで出撃!

 ナビによればフェリーターミナルまでは17分。でも予約して無いので早めに着きたい、って、なら早く起きろ!ってか?幸い着いてみると車列は短めで一安心。早速乗船手続き済ませて出航を待ちます。

 出航するとウミネコ(?)が乱舞しつつ付いてくるので?と思ったら、乗客に餌をねだってるんです。面白がって売店の菓子をやるもんだから、すっかり味をしめた、ってとこでしょうね。こら、んなもん食ってねぇで魚取って食え!

 雲仙普賢岳も見えてきて、島原港入港です。しかし初めての地の天気ってイメージ決めちゃうかも。なんか暗いイメージ引っ張りそうです。天草四郎の乱とかキリシタン弾圧とかねぇ・・・。おっと、旨そうなランチも待ってるんだから・・・やってるよね?これで休みだったらホント暗いイメージで終わっちゃうじゃないの!(笑) 大丈夫だよね?と不安隠し切れずに最初のポイントへ。

 

 

島原鉄道 C1201
 
まずはこれからまいりましょう。島原鉄道が、戦後自社発注で導入した、国鉄と同型のC12型5両のうちの1両です。この形式では珍しいデフ付きですが、このカマ本当はC1206なんです。保存時に番号変えちゃったとかなんとか。本当のC1201はデフなしですし製番も違います。なんでそんなことしたんでしょ?お召し牽いたC1205つぶしちゃうし・・・。

 

 

 最近掃除したのか塗装し直したようですね。ならその時になんでこれ放っとくのかなぁ・・・。レールが埋まっちゃって殆ど見えないから、地べたに直に置いてるように見えちゃいますよ。何とかしてほしいものです。

 このカマが走ったのが約20年間。ここに置かれてもう約50年。他の保存機も似たような道をたどります。そして行政が持て余して手を放した途端消える。今保存されてるカマの多くは、かつてのブームに便乗した保存ごっこでしょうから、致し方ないのかな?残す意義があるならきちんとやってもらいたい、なんてブツブツ言ってたら、現役のDCが軽やかに駆け抜けてゆきました。

 さて、次行きますか!

 

 

島原城
 島原のありがたいとこは、スポットが割と集中してることでしょう。島原駅を起点にすれば、車が無くても1日かけてのんびり回れます。って、こっちはそうはいかないんで、駅前で撮ったらまずは島原城から。

 ここ天草四郎(?)の格好した女性スタッフが、色々親切に対応してくれます。駐車場のおじさんもそうですが、皆さんとても親切丁寧で気持ち良いです。お城のほうは、例によって廃城令で明治初期に一旦消え、昭和30年代に復元されました。なので当時ものじゃありません。 

 城内は資料館になってて、踏み絵等キリシタン弾圧のものも多く展示されてます。これを踏むか踏まないか、ですか・・・。純粋な信仰心が悲劇を生んだ、とも言えます。時の政権にとっていかに脅威だったか、ということかと。

 クリスチャンなら、この地で起こった過去の悲劇は、見え方が全然違うんでしょうね。まぁ、私はクリスチャンじゃないんで、その・・・。次行きましょ!

 


武家屋敷街

 島原城の西側に残るこの一角は、鉄砲を主力とする部隊の居住区だったので、鉄砲町とも言われてます。道の中央の水路は、近くの湧水を引いて飲料水としていたそうです。この写真だけ見ていると、ちょっとタイムスリップ感味わえるでしょ。でもどんどん歩いてくと・・・

 今の普通の家も並んでます。でも、今までに見て来たいわゆる「武家屋敷」同様、ここも新旧が混然一体となっていてあまり違和感がありません。

 当時のレイアウトを見ると、東を海で、西をこの武家屋敷で守っていたのが分かります。面白いことに、それぞれの屋敷は概ね90坪で、今なら公団住宅のようなスタイルだったようです。 みんな平等、ってか?

 

 

 あ、こりゃどう見ても中村主水亭だ!「ムコどの・・・」って(笑)

 

 さらに進むと今の家ばかりでこんな感じに。でも塀はそのままみたい。

 これはさっきの通りのお城側。今の家ばかりのようでそうでもなくて。それでいてあまり違和感ないこの佇まいはなぜ?単にずっと人が住み続けたから、というだけでなく、文化や空気まで連綿と引き継いだってこと?

 そんなたわいない問答を巡らせつつ歩くのもまた楽し。って、なんか・・・観光しちゃってる?(笑) 〆にお城をバックに撮ったらお昼にしましょ。 

 

 

具雑煮とかんざらし
 今回はできるだけご当地ものを!と調べてきたわけで、ここ島原ではこの「具雑煮」と「かんざらし」だそうです。その割にはこれを供する店は少なく、この辺では私の入った「姫松屋」ぐらいのようです。ま、店そのものも少ないんすけどね。実はこの店、さっき着いた時はこれから開くって雰囲気じゃなくってね。内心穏やかじゃなかったんです。まさかのまたか!って(笑)

 この「具雑煮」というのは、島原の乱の際に天草四郎が兵糧として蓄えさせた餅を海山の具材と共に雑煮にし、それを糧に戦った。というのがルーツだそうで、後それをもとに商品化したものだそうです。つまりここが「元祖」。これを出す店が少ないの当たり前です。お味は、これまた実に良いお出しに具材も豊富でめっぽう旨いです。大もりでも良かったかも。

 で、こちらが「かんざらし」。白玉をみつでいただく、きれいな水が豊富な島原ならではの伝統的スィーツです。こちらもおいしゅうございました。

 お店の真ん前はお城で、つつじが満開でした。さて、お次は・・・

 

鯉の泳ぐまち

 水のきれいな水路を色とりどりの鯉が泳いでいます。これも湧水が豊富な島原ならではの風景でしょう。ただしこれは伝統的云々ではなく、子供たちの情操教育として、昭和53年に放流したのが始まりだそうです。

       

 でしょうね。昔からだったらそこいらじゅうに鯉こくの店が並んでますよ。

 

 

雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)
 ここ、'90年の雲仙普賢岳の土石流で埋まった、元海だった所にあります。「火砕流」を、初めてリアルタイムで見て知った私にとって、ここは素通りできません。ええ、報道された映像は今もはっきり覚えています。 あのお山が吹いたんですよね。198年ぶりだったそうです。

 ここは火砕流のことばかりでなく、火山についていろいろ学べる唯一の施設だそうですが、なんだろ、ん〜、ケチつける気は毛頭ないけど、なにかこう鬼気迫るものが感じられないんです。リアルタイムで緊迫した映像をたくさん見たからでしょうか。後世に伝えるためにも、大切な施設であることはもちろん分かってますけどね。なんでだろ?

 出口に、遭難したクルーの、焼けただれたカメラに残ったテープを復元再生しているコーナーがありましたが、こんな隅っこでいいのかな?動画が訴える力は侮れないと思うんですが・・・。なんか、不完全燃焼(苦笑)

 お〜っと、ついに降りだしましたね。

 

 

島めぐり、いや駆け巡り!
 ちょっとマジで観光しちゃったかな?(笑) 予定を1時間もオーバーしてます。本来なら、原城址経由で口之津から乗る島原鉄道フェリーは13時15分発。なのにここでもう13時回ってるんじゃ、次の14時15分発すら微妙です。乗船手続きもあるんだからギリじゃダメ!もうとにかく走るっきゃありません!ところが、口之津までもう少しというところで、「原城址」の看板!でもチラッと見た限りじゃ建物もな〜んもないただの丘にしか見えません。天草四郎と彼率いる一揆農民が立て籠った城跡ですから、ぜひ立ち寄ってみたかったんですが・・・。雨の中で?ここで一瞬の判断!寄ったら絶対間に合わない・・・なので通過ぁ!って、通過しても間に合うか微妙なのは変わらないんですが。

 でもこの判断が良かった。出航2分前に港に着いて「乗れますかぁ〜?」に「どうぞ!」って言ってくれたので「車見てて!」とエンジンも止めず切符売り場に駆け込みました。 そして何とか間に合って乗り込んで振り返ったらもうフェリーのゲートは閉まってました。間一髪でした。

 これを逃すと、この後長島〜出水経由で八代、というのががきつくなるところでした。ローカルゆえのありがたい融通に助けられましたなぁ、とあったかい缶コーヒーすすりながら雨の島原湾眺めてました。

 結局1便遅れが尾を引いて、鬼池〜牛深間の天草はただ通過するのみ。まぁ、寄るところと言っても、キリシタン関係か教会ばかりのようですから、時間があってもどうだったかな?(苦笑) いいんです、走ることこそ一番の目的なんですから。でもこのコース、Nじゃきつかったかも(笑)。

 牛深からの三和フェリーもちょっと危なかったけど、無事今日3隻目のフェリーの人となりました。でも相変わらずの降りでデッキにも出られません。

 が、こんなの見つけて「!」。この船前後同じ形してます!何とも合理的!鉄道なら両運転台のDCといったことでしょう。考えましたねぇ。

 40分ほどで長島の蔵之元へ入港。ここ、こんな天気のこんな暗さでも水がめっちゃきれいなのが分かるほど。晴れてたらどんだけきれいなんでしょ。

 ほい、長島上陸!ここも島ですが、本土とは橋で繋がってるので、後はひたすら走るのみ。暗くなる前に出水に着きたいですからね。

 途中「道の駅長島」でおしっこタイム。今回家から一番遠いとこなのでお土産も少々。薄紫色した珍しい「乾燥とさか」という海藻にしてみました。後日家で食ったら、色のとおりシソのような味でした。

 そう、あの島の向こう、坊の岬沖に戦艦大和が沈んでるんですよねぇ・・・

 あと少し、でもねぇか!それ走れ!

 

 

出水のC5692

 無事島の駆け巡り(笑)が済んで、阿久根からR3に入れば今日のオーラス。出水駅前に保存されてるC5692です。九州一筋で走り続け、'72と'73年にはお召し列車を牽いた由緒あるカマです。しかし・・・

 保存状態はかなり良い部類ながら色がすさまじい。運転室内の青って・・・なんで?パイプ類もなんでその色?の感じで、よく見ると残念子ちゃん。

 

 もったいねぇよなぁ・・・。トーマスとかプラレールじゃねぇんだけどなぁ・・・。でも、大事にしてもらってるのは間違いなさそうなので、良しとしましょうや!




トドメの一撃
 雨の中、走り詰めの1日の仕上げはやはり宴。それもお気に入りの食い物に囲まれたなら、それはまさに至福のひと時。さぁ、チェックイン済ましたら繰り出しやしょう!ええ、今宵はお外の宴です。明日は肥薩線でハチロクの撮りですから、いつものように八代に宿を取り、これまた八代へ来たなら大のお気に入りでお約束の「桂華ラーメン」ですよ。実はこの「桂華ラーメン」、以前の場所から郊外へ移転したんで、今夜のお宿もそれに合わせて郊外のちょっと昭和レトロな「やつしろホテル」にしました。そして雨の中歩くこと10分ほど。でもなんかヘン。店のあるあたりが妙に暗いんです。で・・・休みぃ〜?定休日じゃないだろが!ん?スープ鍋調整のため臨時休業・・・だと!?



 これは絶対脇の甘さなんかじゃないですよ。不可抗力。いや単なる不幸!ウェ〜ン!仕方なく雨の中しょんぼり引き上げてローソンへ。ゆんべの残材と合わせてブルーな宴にしてしまいました(涙)

 

4月21日へ

戻る

がんばれ東日本!がんばれ熊本・大分!