西方行脚2017
〜3月31日
出発準備

序章

 そもそも本ツアーは、我さいとー4号の本土4島制覇達成と同時に、全車本土4島制覇達成!の総仕上げのために設(しつら)えたツアーでした。そのために昨年10月からコツコツ錆び落として磨いて、1月には全塗装もしてもらいました。そして塗り上がりを待って「この際・・・」と内装もあちこち補修、はいいんだけど、いやこれが実によく・・・割れてまして(苦笑)。週2回程度の「出勤」ではなかなか捗りません。まぁ、おかげで接着剤のことも随分勉強させられちゃいましたけどね。それでも3月上旬には何とかまとまって川越のミーティングにも顔出せるとこまできました。これは仮退院のお散歩の一コマ。



 そして3月12日、ミーティング当日。川越に向かうべく、工場からR463走り出してすぐでした。チャージランプがぼんやり点灯してるじゃないですか。明るくではないんです。ぼんやりと、なんです。でも素人考えで「発電はしてるけどちょいと足りない、ってか?」と勝手な解釈してそのまま進行し、関越を予定通りの70キロ巡航。無事会場に到着しました。



 さっそくベテランのお歴々に伺うと「レギュレーターかセルダイのブラシ」と即答。「・・・やばいじゃん」といって今更どうにもならないので、お昼頃退散すべくセルを回すとかろうじてかかる程度。やっぱ発電不足か全然してないか、のようです。工場へは何とか辿り着いたものの、まぁ、工場までの道の長かったこと。戻ると早速あちこち点検しましたが、特定に至らずで後日再調査としました。まだ出発までには十分間がありますから。



日程確定
 一方、主役の整備も終わらぬうちに、締めくくり(になるはずの)の本ツアーは着々と行程を確定させていました。しかも、ちょっと長いかな〜と思ってるのに、フェリーの都合で前後に1日ずつ更に伸びて12日間になっちゃってました。そのかわり「とにかくNなんだから」と1日の走行距離を200km程度に抑え、できるだけ高速走らないですむようにしっかり調査しました。あ、調査ってね、今便利なんですよねぇ。YouTubeでドラレコの映像ですかね?実際走ってるのをかなり長い区間で見られるんですよ。しかも早回しで。それをチェックしてどんな道か?えぐい峠越えはないか?なんて調べるわけですよ。そしてNAVITIMEで所要時間もチェックすれば高速道回避!となるわけです。むろん4号は治ると確信してましたから「ケツ痛くなるかなぁ・・・」とか「耳鳴りが消えないだろな・・・」なんて出発を楽しみにしてました。




また点灯!?
 川越ミーティングの翌日でしたか、今井会長から「いじりすぎて接触不良みたいだよ!」と電話が。やれやれ、これで安心して3号と入れ替われます。ちなみに3号は燃料タンク再清掃の予定でした。その帰り道、外環を10分ほど走ったところで、例のチャージランプがパッと点いてすぐ消えて「???」と思うまもなく明るく点灯!今度はぼんやりじゃありません。またか!と外環降りて側道に停めて接触の点検。でもそれではないような・・・。さぁたいへん。もうあたりは暮れかかってます。といって発電してないのにライト点けるわけにも行きません。今度は家までの道の長かったこと。まぁ、無事には着きましたが、このエラーを潰さないと出発できません。さすがにアセリ始めてました。と言いつつもまだ信じてましたけどね。




時間切れ
 しかし出撃不能のカウントダウンは、既に始まっていました。まず配線を見直しレギュレーターを新品に換えて・・・ダメ!エンジン下ろしてセルダイをストックと交換してもダメ!とにかく思い付くことは全て、一つ一つ確かめてみるしかないので、エンジンの脱着は4〜5回に及びました。おかげで脱着早くなりました!って喜んでる場合じゃない!このままでは出発は不可能です。そこで3月中に解決しなければ4号出撃中止!とタイムリミットを定めました。しかし空しく時間だけが過ぎて3月は終わってしまいました。もはやこれまで。と言いつつ悪あがきの整備は続いてたんですけどね。一縷の望みにかけて・・・。そして、もうこれ以上やりようがないという最後の悪あがきを済ませ、キーを回したあの瞬間。「ダメだぁ〜、消えない!」。これで完全に4号出撃の無期延期が確定しました。




お笑い下さい
 私は、私の車たちは全て「ご縁」があって私の元へ嫁いで来てくれた。そう信じていました。車たちも来たいと思ったかどうかは分かりませんが、少なくともイヤイヤ来た、ということは無いだろうとも。これ笑われてもいっこうに構いませんが、私、嫁いで来る前には必ずその車に「ウチ来るか?」なんて問いかけてまして、その後急速に縁談がまとまった。そういう経験ばかりしてるんです。Nにもそうしたはずです。北海道であんなひどい目にあっても、見事に復活したんですから。でも今回の原因不明のエラーは少し違うんじゃないかと・・・。遠出はもちろん、もう俺の元で走らされるなんてイヤなのかも・・・。いや、もう俺のとこにはいたくないのかも、と。だから後日再修理すべく工場の隅っこにかたしつつ初めて思いました。もう俺の元から解き放ってあげようかな、と。所詮自分は旧車乗りじゃないんだから、相応しい人の元へ送り出してあげるべきじゃないかと。「ご縁」なんてはなっから無かったのかも。そう思い、真剣に譲渡を考えました。あいつのためにもね。




苦行の4号から楽ちん3号へ
 その後、私はもう頭をきれいさぱり切り替えて、すっかり組みあがっていた本ツアー準備の仕上げにかかっていました。失った大義名分も「さらば50代!」にすげかえ、車もアコードにすげかえて。1、2、3号のどれにするかは迷いましたが、一番走行距離の短い3号に決まれば準備万端。「Nじゃ行かない!」と言ってたカミさんも「アコードなら・・・」と1泊2日のご案内。しかしN用に組んだ行程は1日の移動距離が短いんで、苦手の物見遊山三昧になりそうです。と、そこへ今井会長からの緊急電。次来るときに古いほうのレギュレーターもってこいと。一体何が始まるんでしょ?




医療介護つき老人ホームかよ!?
 
私はさっさと諦めちゃいましたが、今井会長は違いました。職人の意地でしょうか?色々調べ上げあの新品レギュレターが怪しい!と突き止めてくれたんです。そしてその古いほうと交換して恐る恐るキーを捻ると・・・、消えた!消えました!いや、まだ信用なんねぇ!と、早速試運転。でも大丈夫。いや、前回も試運転OKで帰りの外環でOUT!だったんですから、しばらくは工場配備のままテストを繰り返すことにしましょう。しかし・・・長距離ツアーが消えたとたんの復活ってなによ?よほど行きたくなかったんでしょうかね?まぁ、このガレージサイコーは古い車たちにとっては、正に「医療介護付き老人ホーム」。無理もありません。一歩たりともここから出たくないのでしょうね。しかし、私のとこに居たいのか居たくないのか、についてはまだ結論が出ていません。今度じっくり向き当て見ようと思います。短縮版にした四国九州制覇プランはもうできてますから(笑)。

 

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