4月2日 初めての和歌山県!
<熊野〜潮岬>

晴れた!



 3日目にしてやっと晴れました!今日は本州最南端までまで走るので、イメージ通りの南紀を満喫できそうです。コンビニへ朝飯調達に行く足取りも軽くなろうってもんです。




 ちなみにこのホテル。ふつーのビジホですが3ベッドのゆったりした部屋でした。これ大事!奥様とは少しでもベッド離さないと私のいびきで寝不足にしちゃいますから(笑)。1Fに魚屋直営の居酒屋もあって良いお宿でした。ではすぐ近くの神社から始めましょうか。



御朱印巡り/花窟(はなのいわや)神社



 調べてみたら、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が軻遇突智尊(かぐつちのみこと/火の神様)出産のとき、陰部を焼かれて死んだ・・・って、なにそれ?



 ほとんど知りませんが、日本書紀とか古事記とかって、時々直接的な表現しますよね。「私の余ってるところであなたの良く出来上がってない部分を差し塞いで・・・」とか。まぁ、いいや(笑)。



 岩の窪みがお墓で、ここに花を供えて伊弉冉尊を祀った岩屋、で花の窟、なのだそうです。あちこちにある「日本最古の神社」の一つでもありますが、明治に入るまでは神社ではなく墓所だったとか。

        

 この岩そのものが御神体で、空中線のように見えるのは、御縄覇神事(おなわかけのしんじ)によってかけられた全長170mの大綱です。自然に切れるまで張っておくので、2本張ってあるのは縁起が良いそうなのでラッキー、だったのかな?
 

 お参り済んだら浜に出て2日分のお日様返してもらいましょ。ほ〜ら、熊野灘は本来の色!まぁ、写真にチョイと無理がありますが(笑)。次はR42で30分ほどの新宮ですが、外房同様海沿いのはずなのに海はたまにしか見えません。でも晴れた日に海沿いを走るのは気持ちいです。沿道の感じは外房に似てるかも?



和歌山県に到達!
 30分ほど走ると熊野川。ここを渡れば、いよいよ行ったことない県最後の県の和歌山県・・・に・・・ハイ渡った!祝・達成!これでついに全国制覇!行ったことのない県が無くなり、今回のメインテーをマクリアしました。次なる目標は「泊ったことのない県をなくす!」ですが、今夜は潮岬に泊まりますから、それもまた一つ減るわけです。



御朱印巡り/3つの神社+保存機
 さて、その新宮ではうまい具合に数分の距離に並ぶ3つの神社+保存機を。まずは熊野三山のひとつ熊野速玉大社から。ここは・・・こっち方面の神社は神様が多くて・・・よく分かりません!(笑)



 立派なお社は明治16年焼失で昭和42年再建。え?その間はナシ?



 お約束の1枚。こういうの随分貯まったから、そういうのだけ集めて・・・いや、そんなの作ってもみんな同じで識別できない!(笑) 



 天気は良いし人も少なくて長閑な境内。そろそろ御朱印できたかな?



 愛車たちにはいつも、ここ行ったぞ!記念の1枚を撮ってあげるんですが、神社やお寺は駐車場が離れてることが多くて結構難しいです。これなんかはやや強引に撮った1枚ね(笑)。



 お次は阿須賀神社。ここも・・・よくわかりません!(笑)



 桜咲く長閑な境内も戦災で焼かれ、社殿の再建は昭和51年とのこと。って・・・ここもその間ナシ?まさか!



 御朱印いただいてお参り完了!



 返す刀で神倉神社、の前にあけぼの公園でC1196を。



 このカマは、紀勢本線全通前に船で運ばれて、長島支区に配置された3両(96,97,98)の生き残り。昭和9年に買収されて紀勢中線になってからも、紀勢鉄道時代ねじ式連結器のままだったので、新製配置ながらわざわざそれを付けて配置された変わり種。痕跡は見当たりませんでしたけどね。



 しかし海が近いのにあまり手が入ってないようで・・・。自治体の懐具合次第ですから仕方ないけど、この地にゆかりのあるカマ。大事にしてほしいものです。



 新宮駅にチョイ寄りしてお約束の1枚撮ったら、お次は神倉神社。



 神社は橋を渡った右側にあるんですが、左のほうへも登って御神体をお参りするんだそうです。それが・・・

 

 これかい!もう四国の札所27番並み、いや、それ以上!殆ど崖よじ登り!これ登んの?と呆然としてると、地元のお年寄りたちが「端っこ登れば段差が少なくて楽だよ!」って言いながらまん中さくさく登って行っちゃった!この石段(538段)、源頼朝の寄進によるものだそうだけど、もうちょっとゆるく作ってくれたらねぇ・・・



 それでもなんとか登って鳥居くぐって、もうひと踏ん張りして・・・

 御神体のゴトビキ岩到達!ゴトビキっていうのはこちらの言葉でガマガエルのことで、そう言われれば、まぁ、そう見えなくもないか?ここは熊野三山が祀られる以前に神様が降臨した所だそうで・・・、あ、例によって神様が多くてよく分かりません!(笑) でも登りきった者にはもれなくこんなご褒美が!桜も満開!よじ登った甲斐があったってもんです。

 意外にもここでガイジン夫婦に出会ったのでお話し聞いたら、スイスの方で、コロナのせいで帰れなくなっちゃったとか。でも日本の方が安全なのでのんびり観光してるんですって。納得!さて下りますか。

       

 下りは登る時以上に慎重に・・・なんてノソノソ下りてたら、また地元のお年寄りにあっさり抜かれてしまいました。「毎日登ってますから」だって!



那智大社と那智の滝
 お次は那智三山の二つ目、那智大社を詣で那智の滝を拝みます。超有名観光地ですから、駐車場の事前チェックも怠りなく和か屋本店Pへ。だったんですが、コロナの威力かここもガ〜ラガラ。係りのおじさんも苦笑い。



 また登坂かい!なんだか今日は修行の1日ですな。さて、登るか!

       

 空いてるんで歩きやすいけど、売店の類はどこもお休みでちと寂しい。ま、そんなこたぁじきにどうでも良くなるんですけどね(笑)。



 さらに登る。とにかく登る。まだかよぉ〜!



 まだ大分ありそうなんで、平然と登る奥様にお願いしてチョイと一休み。



 さぁ、もうひと踏ん張り!あの鳥居をゴールと信じて!



 で、着いたぁ〜!那智大社に到着!

 しかし空いてます。桜満開の時期だから、いつもならかなりの人出なんでしょうけど、これもコロナの影響でしょうね。もっとも、おかげで本来のあるべき姿、静けさ、厳かさを堪能させてもらってます。



 桜も満開!良い時期に来れました。1日ずれたら雨の中でしたが、これも日頃の行いでしょう。ええ、もちろん奥様の(笑)。




 これもご褒美の景色?いえいえ、もっとすんごいのが待ってます。



 那智山お参りして、那智の滝展望地。いや、こんなもんじゃない!



      熊野道?マジ勘弁!あ、そっちじゃないのね(笑)。

      

     それより腹へったぁ〜!おっ、ちょうど良いとこに店が!

      

       と見晴亭でランチ。瀧の水使ってるって?

腹ごしらえ済んだし、目指すはあそこ!


 
 熊野古道を辿り・・・いや、これは違うんだけど、ポイっしょ?



 さぁいよいよ入り口に着きましたよ。そして・・・

 じゃん!那智の滝です!物見遊山には疎い私でも感動もの!しばし見とれてました。とは言ってもまだ先もあるのでそろそろ・・・



 おっと、そのまま帰れないですよ。駐車場のおじさんに約束しましたからね。和か屋本店でお土産物色して、ホラ買って来たよ!って(笑)。



 山降り始めると前方に那智の滝が!そうかぁ、この辺の人たちは毎日ふつーにあれを拝んでるんですねぇ。シンボルみたいなものかな?



本州最南端へ



 浜まで下りたら那智勝浦町役場隣の公園へチョイ寄り道して・・・

  

 C58353です。王寺が長くて晩年は亀山ですが、C58は紀勢本線にはなじみのカマ。まずまずのコンディションだし、良しとしましょう。



 山下りたけど、このへんの桜はまだつぼみですね。

 お次は850m続く奇岩橋杭岩。国の名称天然記念物です。なかなか見事なもんですな。でも、こういうのって、大昔からプレートに押されて云々なわけですよね?まぁ、地震はいずれ来るのでしょうが、どうかお手柔らかに頼みます。あ、それと、とりあえず今は無しで(笑)。



 本州最南端駅の串本駅でまたお約束の1枚撮ったら、いよいよ本州最南端の潮岬へ!なんですが、宿に行くのはまだチョイと早いので、その前に紀伊大島へ寄り道。昔トルコの軍艦を救助したとか何とか?くらいしか知りませんが、とにかく行ってみましょ。ほぉ、トルコ記念館ね。入ってみましょ。



 遭難したオスマン帝国軍艦の船員を救助したことがご縁で交流が始まり、友好の証として建てられたそうです。で、入って正解!遭難について詳しく丁寧に説明されていて、あの日ここで何があったのか?それがよく分かりました。



 で、その救助の話。オスマン帝国の特派使節として3か月滞在したその帰路、一行650名を乗せた巡洋艦エルトゥールル号は、明治23年(1890年)9月16日22時頃、悪天候のためこの島の樫野崎灯台下の岩礁、船甲羅に乗り上げ沈没。この辺みたいです。



 なんとか上陸できた船員数人は、嵐の中真っ暗なこの崖をよじ登り、って、ここを?すんごく切り立ってますけど?登れたの?どうやって?いや、どうもこうもない!必死だったんです!



 そして灯台の官舎に飛び込み救助を求めました。↓左の黒い屋根が当時の建物だそうです。直ちに地元住民が駆け付け、献身的な救助活動により69名を救助したそうです。69/650!いかに大参事であったことか!↑の尖った建物は慰霊碑で、遭難した岩礁を見下ろす丘に建てられました。



 しかし灯台守も驚いたでしょうね。嵐の真夜中におそらく怪我もしてたであろうずぶ濡れの大男が、訳の分からんこと言いながら飛び込んできたんですから。もっともこの遭難を遡ること100年。寛政3年(1791年)にアメリカ人が上陸してるのでいくらか免疫はあった・・・いやぁ、ぶったまげたべ!(笑) ではお宿に向かいましょう。



本州最南端のお宿



 今宵のお宿は本州最南端潮岬のみさきロッジ。お宿そのものも本州最南端です。その最上階が我々の部屋で・・・

 は、よくある広くて明るい部屋なんだけど・・・↓こんなテラス付き!占有スペースではなさそうだけど、この日は事実上独占状態!

西方行脚でフェリーから見てた景色を、今日は陸から

 夕日も期待できそう。さぁて、晩飯まで間もあるし、お散歩に出かけましょうかね。10分も歩けば潮岬灯台もあるし。

        

 でも遅かったようで入れませんでした。



 なので桜満開の潮岬灯台はフェンス越しに。

        

 そのフェンスに沿って歩くと潮御崎神社があります。御朱印は無いけど、本州最南端の神社をお参りできました。



 さらに進むと、その昔回遊する鯨を見張ったという潮岬の鯨山見ってぇのがあったんで行ってみましたが、木が生い茂ってて良く見えないっすね。遠くの鯨見つけるのには良いかも。



 んでは宿に戻って一風呂浴びて、晩飯遅らせてもらって・・・

サンセットショーを独占!



 おしい!沈む位置がチョイとずれてて、水平線に沈む様子は見れませんでした。でも奇麗だったぁ!さ、メシ!

 

 当然海のものが並びますがこんなお肉の変化球も。オっ、ウツボもある!奥様はテレビのニュースが気になる?



 お味はいたってまじめ&ボリュームたっぷり!ごちそうさまでした!



 部屋飲みのは、残ったおかずと小鉢で出された珍味ウツボの揚げ煮を追加して。はい、食い過ぎです!(笑)

 

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